観音様と手打そばの郷 出流 - いづる -[出流山 満願寺]

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観音様と手打そばの郷 出流 - いづる -[出流山 満願寺]

■出流山 満願寺戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〒328-0206 栃木市出流町2880282-31-1717
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真言宗は弘法大師を宗祖とする宗派で、一万数千の寺院を数えますが、十八の派に分かれています。主な宗派は高野山派の四千ヶ寺、智山派と豊山派がそれぞれ三千ヶ寺を統括しています。
智山派は正式には新義真言宗智山派と称し、総本山は京都東山七条の「智積院(ちしゃくいん)」で、他に代表的な六つの寺院があります。末等の主なるものは、『千葉県の成田山新勝寺』『神奈川県の川崎大師平間寺』と『東京都八王子の高尾山薬王院』の三大本山。その次に別格本山があり、『東京都日野の高幡山金鋼寺』『名古屋の大須観音宝生院』、そして『栃木県の出流山満願寺』を三別格本山としています。

 

 

 

鎌倉時代に成立した西国三十三の観音札所が開創され、それを巡拝することによって、あらゆる厄をまぬがれるという信仰が強く、今に盛んであり、『出流山満願寺』は第十七番の札所となります。

 

 

 

出流山は、真言宗智山派の別格本山として参詣者の願いごとを叶える護摩祈願の霊山であり、家内安全・厄除け・開運・商売繁盛を祈り、護摩祈願を受ける御信者が絶えず参詣されています。また、人車一体の交通安全祈願が随時奉修されています。他にも、安産御腹帯を受ける善女人で賑わっています。

 

 

 

出流山会館では、御信者並びに一般参詣者の便宜に供する為に、二百人の宿泊設備を整えています。また、日帰り参詣者昼食も用意して、皆様のご利用をお待ちしております。
なお、法話・仏教講座や座禅の指導など、お申込に応じています。

 

 

 

 

 

徳川時代の享保二十年の建立で二層建て、一対の仁王尊像が奉安されています。境内面積十万坪、寺有山林三十万坪に及ぶ出流山の入り口です。もとは茅葺屋根であったものを昭和の初めに金属板に葺き替えました。
仁王尊像は足利時代のものであり、山門・仁王尊像共に、平成二年庚午歳本尊大開帳を記念して、解体復元光時が施されたました。*栃木市文化財

 

 

明治維新まで山内に六つの塔頭寺院があった。その一つである副性院の名残を留める古雅な霊堂で、薬師如来が安置されています。厄除けや眼病に霊験あらたかなるをもって参詣者が絶えません。小さな建造物ですが、彩刻の巧緻を尽くしたお堂で、享保年間の造営です。

 

 

 

 

 

 

昭和四十一年のひのえうま大開帳を記念して信者各位の浄財をもって建設された参詣者の宿泊施設となっています。また、日帰り参詣者の昼食(精進料理)の利用も多い。
[設備]鉄筋五階建て延べ四百八十坪、百二十畳敷 ステージ付大広間、宿泊客室十八室、収容人数二百人。
出流山本坊が元治元年に焼失してしまったため、第三十三世観音秀和尚が仮書院として再建したが、仮の建築であった為、昭和五十三年、ご本尊大開帳を記念して、信徒各位の浄財によって新しく建て直されたものです。鉄筋二階建てで、延べ二百二十坪、総受付を徳川時代からの名称で「出流山役所」としています。大玄関・ロビー・法務室・寺務所等があり、二階の百八畳の広間は、法話・座禅(阿字観)、講習会等の仏教行事に用いられています。

 

 

 

 

 

 

明治四年に鐘楼堂と鐘を失って約百年ぶりに昭和五十九年宗祖弘法大師千百五十年御遠忌を記念して。ほぼ同じ場所に再建されました。
鐘の重さは三百五十貫、音響効果とコンクリート造りの合理性を追求した建築となっています。*設計:建築モード研究所所長高橋武士氏

 

後小松天皇の応安元年(1868年)、足利義満公の寄進によって観音堂として建立されたが、元文五年(1740年)十二月二十日の大火により、一山は山門を残すのみで堂塔は焼失してしまった。 今の大御堂は中興第十七世道杲和尚が営々辛苦の末に和治元年(1764年)八月に再建したものである。
八間四面入母屋造り、唐破風向拝つき、三手先竜の彫刻がほどこされ、『筑波山の大御堂(現在の筑波神社本殿)』『奈良の興福寺大御堂』と共に、日本三御堂の一つと称されています。
元治元年(1864年)三月、本堂と書院を焼失したため、現在は大御堂をもって本堂としています。現本堂の大御堂は坂東十七番札所で、弘法大師ご敬刻の千手観音菩薩がご本尊として安置されています。

 

 

 

 

 

 

旧暦元旦に滝開きが行われ、出流山一年の滝修行が始まる。心身の垢が消えて、観世音菩薩の大慈悲に浴するところから「大悲の滝」と呼ばれています。
この滝は出流川の源泉で、「胎内くぐり」と呼ばれる鍾乳洞の中の湧き水が洞の入り口から直接滝となって落ちています。*落差八メートル

 

 

 

大悲の滝から石段を登ること百余段で奥の院の拝殿に入ります。この拝殿が鍾乳洞の入り口になっており、中は高さ四メートル余あり、鍾乳石で自然にできた十一面世音菩薩の後ろ姿の尊像が拝されます。
天平の住古、下野の国司、若田氏高卿の奥方が子宝に恵まれなかったのを嘆かれて、奥の院にこもり祈念して授かった一子が勝道上人であります。この因縁から、奥の院の十一面観世音は子授け・子育ての観音として霊験あらたかであります。